ロシア旅行に行きました(サンクトペテルブルク編:2019/12/27-12/30)

12/27-1/2の期間でロシアの美術館巡りの旅行に行きました。サンクトペテルブルクでは前から行きたかったエルミタージュをはじめとしてファベルジェ美術館、ロシア美術館を訪問。モスクワではプーシキン美術館、トレチャコフ美術館を堪能しました。ヒジョーに素晴らしかったです。美術館以外にもバレエ鑑賞、エカテリーナ宮殿、クレムリン観光と盛り沢山でした!
1日目は成田発JL412でモスクワ経由サンクトペテルブルクまで。ホテル到着は21時過ぎでした。
12月28日
とうとうエルミタージュ美術館に来れました。元々は初代ロシア皇帝ピョートル1世の娘であるエリザベート女帝が建てた冬の宮殿でしたが、後にエカテリーナ2世が購入した多くの美術品を収納するために「隠れ家」を意味するエルミタージュに改名されたそうです。エカテリーナ2世の話は後ほど。
入り口すぐの「ヨルダン階段(別名:大使の階段)」にて。美術館になる前の冬の宮殿は外交の中心だったのですね。
ピョートル大帝の間(小玉座の間)
世界最大のからくり時計「黄金の孔雀」。今でもネジを巻くと動くそうです。
レーニンの肖像画の裏にロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世の肖像画が水彩絵の具の層でわからぬように隠されていて、ロシア革命時1918年に銃殺されてから約1世紀後の2016年発見されたそうです(この時、一家全員が銃殺されました)。民衆に慕われていた皇帝で、いつか発見されることを願っていたのですね。一家の埋葬地が明かにされたのは1979年とのことです。
尚、ニコライ2世は皇太子時代の1891年に日本を訪問していて、長崎で龍の刺青を右腕に彫ったことで知られています。
有名なラファエロの回廊です。バチカンにあるラファエロのフレスコ画をエカテリーナ2世が模写させたものとのことです。
多くのレンブラントが展示されています。上は「フローラに扮したサスキア」(1634年頃、アムステルダムでの名声を確立した作品のひとつ)と「放蕩息子の帰還」(1663-1665年頃、晩年の代表作)。素晴らしい!ただ残念ながらダ・ヴィンチの「ブノアの聖母子」「リッタの聖母子」が2枚とも貸し出し中で見ることが出来ませんでした!ガッカリ😢。1枚は残しておいて欲しかった❗️
ルノアール「女優ジャンヌ・サマリーの肖像」!(1878年)
ゴーギャンもたくさんありました。上は「果実を持つ女」(1893年)。タヒチでの奥さんとのことです。
ゴッホもたくさんありました。「夜の白い家」(1890年)
マチス「ダンスll」(1910年)の前でパチリ😄。
1日目の最後はエルミタージュ劇場にてバレエ「くるみ割り人形」を鑑賞。エカテリーナ2世が建設した個人用の宮廷劇場だったそうです。家族や友人用の劇場だったため席の指定はなく、これが今でも続いています。早く行かないと良い席が取れません。
12月29日
2日目AMはエカテリーナ宮殿を見学。スカイブルーの美しい外壁の宮殿です。
金箔の回廊に目を奪われます。
デルフトブルーに似た陶器製のペチカ。エカテリーナ女帝がデルフト焼きに似せた陶器を作らせたそうです。
有名な琥珀の間。壁一面が琥珀の装飾で覆われていて、目を見張る豪華さです。ガイドさんの説明では以前は撮影禁止だったようですが、当日はフラッシュ無しで撮影OK✌️。
午後はファベルジェ美術館を見学。皇帝のためにファベルジェ社が製作したイースターエッグなどの宝飾品が展示されています。
9種類のイースターエッグが製作されたとのことで、現在では合計1億ドルは下らないと。贅の限りを尽くしていたのですな〜😳。
今回の旅行で一緒だった皆さんと昼食。12人のこじんまりとしたツアーで、皆さんとても良い方々で、楽しい旅行でした😄。手前は天坂さんご夫婦と小嶋さん。
2日目最後はロシア正教の大聖堂である聖イサク寺院を見学。
12月30日
血の上の救世主教会。アレクサンドル2世は農奴解放などの大改革を行なったが、何度も命を狙われたそうです。1881年に行幸先から帰る途中に手榴弾での爆発に遭い、皇帝は無事だったがコサック衛兵が負傷し、これを心配した皇帝が馬車から降りたところを別のテロリストの爆弾で命を落としたそうです。後を継いだアレクサンドル3世がこの場所に建てた教会とのこと。先進的で心の優しい皇帝だったのですね。
サンクトペテルブルクの最後はロシア美術館にてロシア絵画を鑑賞。
エカテリーナ2世の肖像画。エカテリーナ2世はピョートル3世の妃としてプロイセンの小国から嫁いで来たが(ドイツ人でゾフィーという名前でした)、ロシア語を猛勉強し、ロシア正教にも改宗して貴族や民衆に支持されるに至ったそうです。これに対し神聖ローマ帝国の生まれでもあり、プロイセンに心酔していたピョートル3世はプロイセンとの7年戦争であと一歩で勝利の段階で敵方に有利な条件で講話を結び、側近や軍部の反感を買いクーデターにより廃位させられ、エカテリーナ2世が皇帝の座についたそうです(1762年)。
ちなみにエカテリーナ2世は愛人の多さでも知られていますね。生涯に10人の公認の愛人(総数では数百人とも言われる)を抱えていたそうです😳。
サンクトペテルブルクのモスクワ駅から高速鉄道でモスクワのレニングラード駅まで列車の旅です。駅の名前は行き先の駅名を示すもので、サンクトペテルブルクにはサンクトペテルブルク駅はありません。同じようにモスクワにはモスクワ駅は無いそうです。ところ変わればおもしろいですね。サンクトペテルブルクからモスクワまでは3時間半程度です。
列車内に黒のチワワが乗っていて、ずっとおとなしく座っていました。可愛いね😍。

0コメント

  • 1000 / 1000